『即興劇 ~プレイバックシアターより~』


 そもそも即興劇とは如何なるものなのか、そのルーツを探っていった先にあったのがプレイバックシアターだった。プレイバックシアターはジョナサン・フォックスが創り上げた脚本のない即興劇の手法である。まず、コンダクター(司会者)が客席からテラー(話し手)を募る。テラーとなった者は前に出て来て椅子に座り、自分の体験談を語る。この体験談を舞台上でアクターが再現する、これがプレイバックシアターの基本的な流れである。
 この概要を見ただけでも幾つかの問題点が見つかる。第一にテラーが現れなかったらどうするのかというもの。第二に体験談を再現するだけの知識がアクターになかった場合。第三に体験談が演じるに値しないものだった場合。第四にテラーがアクターの演じたものに反感を持った場合である。人の体験談が劇になったのを観て、面白いのかという根本的な疑問もあるが、それは人それぞれなので敢えて触れないことにする。
 これらの疑問に対して、『プレイバックシアター入門 脚本のない即興劇(著:宗像佳代)』では次のような回答が示されている。第一の疑問に対しては、話し手が出てこないことはない、なぜなら誰もが自分の体験を話したいと思っているからであり、話しやすい環境を作り出すように努めているからである、といったことが書かれてあった。
 第二の疑問に対しては具体的な回答ではないが、そのためにアクターは様々な知識を得る必要があるといったことが記述されている。それは一般的な劇の役者にも言えることだろう。例えば、医者を演じようと思っても、医者に関する知識が皆無ならば演じようがない。一般的な劇なら公演前に調べることもできるし、何より台本にそって演じれば形にはなる。しかし、即興劇では知らなければ、それでお終いになってしまう。そのため広い知識が求められる。無論、あまり馴染みのない事柄をテラーが話した場合、それを演じるための知識をコンダクターが聞き出そうとするだろうが。
 第三の疑問、体験談が演じるに値しないものだった場合とは、例えば体験談が倫理に反する内容を肯定するものだった場合、それをそのまま演じてしまってもいいのかということだ。これに関して、実際にあった話から言えば、体験談をそのまま演じた後に、倫理的なバランスを取るための処置を施している。
 とある学校でクラスメイトにイタズラをしたら気持ちよかったといった体験談を話した児童がいた。その内容を劇にした後、このままではいけないということから、次のテラーとしてイタズラされた児童を選び、その子の体験談を聴き、イタズラされた側がどんな気持ちだったのかを劇によって知らしめたのだ。
 第四の疑問に対しては実際に問題となったことがあったようだ。アクターがテラーの体験談を忠実に再現することよりも劇としての面白さを優先し、勝手に脚色したことでテラーにも観客席にも気まずい思いをさせた例が挙がっている。これに関してもアクター教育を徹底させる的な対策が書かれていただけだった。まぁ、それ以外にないのだろうが。
 このようにして様々な問題にも対応できると書いてはあったが、実際のところはカバーしきれない問題が発生しているのではないのだろうかという疑念は拭えていない。とはいえ、手法として無価値なものだという気はしないし、演劇的表現としてのひとつの可能性であることに変わりはないと思う。
 ただ、ここでひとつ触れておかなければならないものがある。それがモレノ(Moreno, J.L. 1892-1974)が生み出した心理劇(psychodrama)である。ジョナサン・フォックスが提唱するプレイバックシアターには、モレノとモレノが生み出した心理劇の影響が随所に見られる。

【心理劇(psychodrama)は,人間の自発性を回復することを目的としてモレノによって始められた,身体活動を伴う即興的役割演技を主とした療法である.通常,治療者が舞台監督となり劇のテーマを指示し、クライエントは与えられたテーマについて即興のセリフや演技を行ったり,観客として劇に参加したりする.クライエントは劇の中で,現実世界で困難に感じている事柄に対処し,観客の反応に助けられ,自信を取り戻す.観客となったクライエントも,劇を見ることで自己の問題について考えることができる.(一部略)心理劇は身体活動が促進されることによって大きな浄化作用をもつが,一方で精神障害者などでは心理的混乱を助長する危険もある】
 『キーワードコレクション 心理学(編:重野 純)』より

 こういった事情もあって、「プレイバックシアターは心理劇とどう違うのか」といった質問を幾度となく受けてきたようだ。その違いとしてシェアリング(話し合い)の有無が挙げられているが、端的に言えば演じることを芸術として昇華しようとしているか否かである。現にジョナサン・フォックスはプレイバックシアターを演じるために不可欠なスキルとして、芸術性・社会性・リチュアル(ritual;直訳すれば儀式)を挙げている。
 モレノの他にもブラジルの教育哲学者フレーレ(Paolo Freire)/ブラジルの演出家ボアール(Augusto Boal)、文化人類学者ビクトル・ターナー(Victor Tamer)/人類学者バーバラ・マイヤホフ(Barbara Myerhoff)、多重知能理論(Multiple Intelligences)を打ち出したハーバード大学教授ハワード・ガードナー(Howard Gardner)といった人物の名を挙げ、それぞれが唱えたものをプレイバックシアターの理論の基盤としていると語っている。その中でも文化人類学者ビクトル・ターナーの項で述べられていることが興味深かい。

『プレイバックシアターの精神は社会的ドラマの文化を引き継ぎ、社会そのものが幸福になるように、安泰であるように、よりバランスのとれた「視点」を持つように、と試みる。ストーリーによって、観客は自分たちの周りで何が起き、他人がどんな思いをしているのかを共有する。あるストーリーが再現されて社会の矛盾が浮き彫りになると、観客は心を痛め、世の中を是正したいと願う。いろんな立場にあるテラーや異なる価値観を示すストーリーは、会場にさまざまな「視点」を提示し、社会そのものがバランスを取り戻す手がかりとなる』

 そして、これは演劇とプレイバックシアターについて書かれた項にも繋がっていく。

『言語が存在しなかった太古の時代から今日の現代演劇に至るまで、演劇は世の中をよりよいものに方向づけるよう貢献してきた。さまざまな「物語」を劇として表現することで人々に多様な「視点」を紹介し、社会のバランスをとってきた。演劇という形で紹介される「物語」は教訓を含み、人生の生きる道を示し、世の中に未来と希望をもたらし、人々の心を豊かにした』

 ここから彼のプレイバックシアター、ひいては演劇に対する考え方が窺える。プレイバックシアター誕生にあたって、モレノ研究所にいたことと口承文学を学んだことが大きいとしているが、その彼が興味を持った口承文学は教訓を含み、歴史を伝え、倫理や人生の英知や教養を教えるものだったという。故に彼はプレイバックシアターを学ぶ者に、「いびつになった社会を修正するために」学び続けるようにと言っている。言うなれば、社会正義を働きかけるための演劇である。正直言って彼の考え方は大袈裟過ぎて、新興宗教の勧誘を彷彿としてしまうが、物語に他者の視点を学ぶ要素があるとする点には共感するところがある。
 で、結局のところ劇としてどうなのかという話なのだが、彼のIPTN(国際プレイバックシアターネットワーク)絡みの劇を観たことがないので何とも言えないのが実情である。ただ、直接的ではないにしろ、少なからず影響を受けているであろう劇を観た限りでは、これはショーアップされた見せ物としての劇よりも、仲間内での遊びに近い劇と言える。言うなれば、おままごとの延長線上にあるものだ。
 決して馬鹿にした意味合いでおままごとと言っているわけではない。ジョナサン・フォックスが「大人はかつて創造的に遊ぶ子どもだった」として語っているように、幼少期に他者を演じて遊んでいた記憶というのは誰にでもあるものだ。そのおままごとという遊びの中で、人は他者の立場を学び、自分とは違う視点があることに気付かされてきたのではないだろうか。その学びとしてのおままごとの発展系がプレイバックシアターであり、即興演劇であるように思えてならない。
 ただ、『「即興給食ねこまんま」出産公演「黒猫編」』に、その学びの要素はほとんどない。この劇においてテラーの体験談、観客の普段の一日というお題をアクターが演じることは、単なるゲーム的エンターテイメントの色合いが濃い。その理由を語る前に、プレイバックシアターと彼らの即興劇の大きく異なる点を挙げることにする。
 先の劇はコンダクターが「普段の一日」を教えてくださいと聴くことによって、テラーがテーマとして問題のあるお題を出す可能性は激減する。社会的に問題のある「普段の一日」を送っている者が、演劇を見に来るとは到底考えられないからだ。また、「普段の一日」と言われて思い浮かべるのは何もない日であることから、取り扱いにくい社会的問題やトラウマに触れるようなお題にはなりにくい。
 こうして先の劇では聞き方によって内容を限定し、プレイバックシアターが抱える問題点を解消して、楽しむ演劇としての手法を確立していると言える。その一方で、ジョナサン・フォックスが基盤とした考え方を失っている。どちらがいいというのではなく、既に演劇としての方向性が違っているのだ。
 この両者を比較しただけでもわかるように、即興演劇と言っても方向性はひとつではない。コンダクターがテラーから体験談を聞き、アクターがそれを演じるという手法が同じであっても、そのやり方次第で大きく変わるものなのだ。逆に言えば、それだけ可能性に満ちた手法であるとも言える。
 また、一般的な演劇と大きく違う点として、会場の雰囲気が挙げられるだろう。通常、劇場で見知らぬ観客同士が話すことはない。観客は舞台上の役者を、そこでの演技を見に来ているからだ。ところが、即興演劇では見知らぬ観客との交流がある。それは観客も舞台を構成する要員として組み込まれているからではないだろうか。そう言った意味では、より体験する芸術であり、生の時間が舞台上に存在すると空間だと言ってもおかしくない。


◇付録
《ジョナサン・フォックスとプレイバックシアターの歴史》
1973年6月
コネチカット州ニューロンドン市でカンパニー"It's All Grace"をジョー・サラほかと結成。野外での自作演劇や小さな代替小学校で子どもたちのための演劇を支援。
1973年11月
モレノ研究所で自発性と創造性、グループの養成、個人の存在そのものへの畏敬、ドラマでの感情のもつ力の大切さを学ぶ。
1973年~1974年
コネチカット大学演劇学教室で演出担当。アメリカンダンス祭での実験演劇、ニューヨーク市民センターで、マジョリー・シグレーと協力し、若者たちの演劇を支援。
1974年
観客の個人的な現実に基づいた話を即興劇にするというアイデアを着想。"It's All Grace"でこの新しい考えに基づいた即興劇に実験的に取り組む。さらに1年モレノ研究所で学ぶ。
1975年9月
モレノ研究所のスタッフになり、専門誌や書籍を編集。家族でニューヨーク州ニューポールツに転居。
1975年11月
新しいカンパニーの活動開始。
1975年12月
新しいカンパニーに「プレイバックシアター」と命名。当初は家族と友人のために公演。
1976年1月
学術大会、総合病院小児病棟で、また、市の公園でのお祭りや教会の教区ホール等で公演。
1979年
メルボルンの大学教授がオーストラリアに彼と劇団員を招待。その後、オークランドとウエリントン(ニュージーランド)、メルボルンとシドニー(オーストラリア)でプレイバックシアターのカンパニーが誕生。
1980年
イタリアに招待され、プレイバックシアターを指導。その後、毎夏研修会開催。
1989年
IPTN(国際プレイバックシアターネットワーク)立ち上げ。
1990年
ジョー・サラがハドソンリバー・プレイバックシアターを設立。
1991年
IPTN世界大会、オーストラリアで開催。その後、フィンランド、米国、英国、日本などで開催。
1993年
スクール・オブ・プレイバックシアターをニューヨーク州に設立。
1998年
スクール・オブ・プレイバックシアター日本校設立。
1999年
ニューヨークのスクールはコミュニティー育成と奨学制度の充実のための事業を開始。
2006年
プレイバックシアターは現在50カ国以上で、企業、学校教育、地域社会など広い分野で個性化教育やいじめ防止、対話の促進、問題地区での和解や相互支援などを目的に活動中。
2006年、国際サイコドラマ学会の招待特別講演で、ジョナサン・フォックスが紹介した"Playback Theater start-up time line"を参考に作成。
『プレイバックシアター入門 脚本のない即興劇』p30より



◇参考文献
『プレイバックシアター入門 脚本のない即興劇』著:宗像佳代 発行:株式会社明石書店
『キーワードコレクション 心理学』編:重野 純 発行:新曜社